GK眞田雅則の思い出
90年代から応援していたとはいえ、エスパルスのGKといえばレオン監督の輸入品シジマールな意識が強くてですね、こういうヒトは少数派だと思いますが、眞田さんにはそこまでの思い入れを意識するようなはなかったんですよ、すみません。
Jリーグの開幕戦を、嫁を連れて三ツ沢まで見に行って、アウェイなのに多数を占めていたエスパルスのゴール裏(とオレ)をため息に連れて行ってくれたのも彼の飛び出し、モネールのゴールだった。(古すぎ)
ナビスコ優勝の試合は、仕事で出張先で見てないからあの勇姿はYoutubeでしか見てない。
そういや、いつだったか天皇杯決勝、鹿男にFK決められたのも彼だったな。
1999年のステージ優勝は、横国でも見た、CSも2戦現地で見た、けどそこに居て当たり前だった。もちろんPK戦で負けたのはGKの差じゃなかった、少なくともあのときの相手某GKよりは3枚くらい上だと思っている。
チームがギクシャクするなか、石崎監督が最後にキタジを3枚目の交代に選んだ試合も、勝つためにはショウガナイカナ、と思っていたし。
とはいえ
代わりに入ってきた黒河・西部のデキを見ていて、GKの安定性、重要性は良く理解できた。っていうか普通じゃなかったことにちょっと気づいた(悲笑)
愛媛からデモドッテキタ羽田に職を確保するため他チームにいったり、シジマールにポジションを獲られたあとも努力して、いつの間にか戻ったりと、ひたむきな努力と頑固さは感じるのです。
ケンタが居なくなったタイミングで、矛先をかわすためにも初期エスパルスのアイドル(偶像)が必要となり、無理矢理な感じもしたけど、復帰させた。(ように感じた)
去年のGKコーチ、ガミさんとどこが違うのか?が試合前のコーチング具合ではよくわからなかった。ってか、こっちもゴトビ監督の指導に慣れてないから、GK陣の練習を観察するほどの余裕が無かった。
なんだか、纏まりませんが、普通にいて当たり前のGKだったし、やっぱり他の評価する基準になるヒトだったんですね、ちょっとレベルが高かったみたいだけど。
やっぱり、探したけど、今シーズンの眞田さんは無かった。あまりアップ風景を撮らなくなっているからかもしれないけど。それでも、復帰戦となった開幕の柏戦はなぜか撮ってた、でもどれも後姿しかなかった。やっぱり、ヘタくそだったな。
ある年齢を超えてからは、結婚式よりいきなり葬式が増えるけど、今回もか、と思ったりもした。
眞田さん、ありがとうございました。やすらかにお休みください。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
内容よく分かりましたよ。いろいろあれこれ考えちゃいますが、早すぎる死です。何とか今年一つタイトル取りましょう!!
投稿: taka | 2011/09/09 10:47
>takaさん
早いっすね~~、最近の30とか40とかでお亡くなりになるのは。
ホント、タイトル獲りたいですね。
投稿: かわぐち | 2011/09/12 21:23